北海道温泉紀行、女湯から男湯へなまめかしい声が呼びかける「そっち、行っていィ〜い?」十勝の留真温泉、忘れがたし。
浦幌町の留真川を遡っていくと、留真温泉があります。
昔は鄙びた湯で、炭鉱で働く人たちが利用していたそうです。
少し昔ですが、観光客などがまだ来ない頃、
雪の降り積もる冬に、湯に浸かりに行きました。
地図の温泉記号が、このようなカタチの頃です。
訪れるとガランとして、お客は当方ただ一人。
「コレは、ゆっくり浸かれるぞ、シメシメ」
ここは透明な温泉で、お湯は青味がかっています。
ガラリと戸を開けて、タイルの床の浴室に入ります。
ペタペタ歩いて、レトロな楕円形の浴槽に浸かります。
キレイなお湯だなー、独り占めするには勿体ないナー。
サウナも無ければ、ジャグジーもありません。
無い方が温泉らしくてイイと個人的には感じます。
温泉の湯だけを心底たのしめますからねー。
透明な青いお湯は、熱からず温からず、いい湯です。
このままジッと、ナニもしたく無くなる、いい気分です。
じっくりと浸かって、1時間ほどしたら…、
脱衣場で音がして、湯客が一人、浴室へ。
その御仁はコチラへ軽く会釈して、湯の中へ。
間をおいて女湯の戸が開く音が聞こえます。
どうやらご夫婦で温泉をたのしみに来られた樣子。
男客と当方は湯に浸かって天井を観ています。
高い天井で、女湯でカラダを洗う音がよく響きます。
男湯と女湯の仕切り壁は低く中程に潜り戸があります。
カラダを洗い終えたのか、女湯からなまめかしい声が…。
「パパぁー」
「うーん」
「そっち、誰かいるー?」
「うーん」
男の声のトーンが下がります。
数分後に、また女の声が、
「……………まーだぁ〜?」
「…ゥうーん」
こんどは微妙に声のトーンが上ります。
しばし、男湯にも女湯にも沈黙があって、
数分後に、ふたたびなまめかしい甘えた声が…。
「変な人、居なくなったら、云ってねー」
「…ゥゥ、う~ん」
男の声のトーンは、上がったり下がったり、
「そしたら、そっちに行くから」
他所様の夫婦にはできるだけ介入したくないので、
耳までお湯に浸かって、二人の会話には知らんふり…。
でも、ぜんぶ聴こえてしまいました。
レトロな浴室は声がよく響くのでした。
湯に浸かっていたら唐突に「変な人」になってしまった当方は、
「手指にシワができるほど浸かったから、ま、イイか」
できるだけ素知らぬ動きで、ゆっくと湯から上がって、
いかにも満足げに、浴室を出るのでした。
カラダを拭いて、服を着けていると、
女湯と男湯の壁の潜り戸が、ギィーと軋みます。
ペタペタと歩く音がして、ドボンと湯に浸かる音。
二人が浸かっている湯船から、男の低い声が聴こえます。
そしてしばらくして、ナニが可笑しいのか、女の笑い声が。
脱衣室はとても寒くて、思わずクシャミが出ます。
一ホメ、二ソシリ、三ボレ、四カゼ…、
クシャミの回数を数えて、ひとり苦笑い。
地図の温泉記号が新しくなって、
留真温泉も町が運営するコトになって、
入浴設備も近代的になりました。
男湯と女湯の仕切壁に潜り戸がまだあるのなら、
もういちど、留真温泉に行ってみたい、と思っている。
そして、ふたたび、女湯から、
「そっち、行っていィ〜い?」と声がしたら、
その時は、今度はワタシが応えたい。
「いいよー」。